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緑豊かな六甲山の麓に「ヘアーサロン スギモト」はあります。
昭和42年に先代店主が今の場所で開業しました。
先代店主は岡山県高梁市の生まれです。
農家の三男坊だったため、夢を求めて戦前の満州に渡りました。
開拓団の一員として仕事はきつくても、楽しく過ごしたそうです。
しかし、次第に戦争が激化し状況悪化。
満蒙開拓義勇軍に入隊希望し、陸軍歩兵隊になりました。
ところが⽇本は敗戦、武装放棄でソ連の捕虜に。
終戦で「日本に帰れる!」と喜んだのもつかの間、シベリア送りに。
幸い森林伐採でなく、炭鉱掘りとして無煙炭を掘らされました。
数年が経ち、ようやく引き揚げ船「高砂丸」で京都府舞鶴港に帰国。
帰郷してみると、すでに両親は亡くなり長男が農家の跡継ぎに。
実家にも居づらくなり、親戚を頼って⼭⼝県仙崎に行きます。
親戚は理容店を営んでいて、理容免許の取得を勧められて理容師に。
次第に親戚との人間関係が難しくなって仙崎を離れます。
その後、兵庫県相生の造船所で職工として働いていました。
そこへ実の姉が訪ねて来て、神⼾で理容師になるよう勧められます。
それならと、神戸で理容師をすることになりました。
ところが勇んで来たものの、親戚に習った技術が神戸では通用しません。
たとえ仕事はできなくても、本来が「真⾯⽬が取柄」。
経営者の厚い信頼を得て、主任に大抜擢。
しかし、同僚から妬まれたりして職場では苦労したそうです。
そして昭和42年、今の場所で「理容スギモト」を開店しました。
当時、この辺りは大きなお屋敷が多かった記憶があります。
今ではマンションが立ち並んで、往時の面影もありません。
駅前を大学の馬術部の馬が歩いていたりして、のどかな風景でした。
出店時は学⽣さんだった⼈も、今では「高齢」と呼ばれる年齢です。
先代が働いていた店の⾷事は、当時としては良かったそうです。
でも、主任ともなると昼食は先ず手の空いた職人から。
皆が食べ終わって、主任の⾃分が⾷べようとしたら……
おかずがほとんど無くなって、ジャコ天しか残っていなかった!
仙崎時代には「練り物」も好きで、よく食べていたそうですが……
でも、さすがに毎⽇続くと「嫌いになった!」と聞きました。
⼆代⽬ですか︖ ジャコ天好きですよ。
